生温い都会の夜に住む男

夏が終わる。

特に夏らしい事もそんなにしなかったのだけど。


じわっとした空気とざわざわする気持ちと、何かが去っていく漠然とした寂しさを感じるこの時期の昼下がりは嫌いではない。


誰かと過ごすのもいいし、でもこの空気感に深く浸るには一人があってる。


1年くらい前からちょこちょこと、マッチングアプリの情報サイトでレビュー記事なんかを書くようになった。メインの仕事ではないので半ば趣味のようだ。


実際にアプリを使う事を義務付けられるので(別にフェイクアカウントでもいいんだけど)私のiPhoneには基本放置してるマッチングアプリがいくつも常駐している。


基本的には傍観してるだけなのだが、中には実際に会った人たちもいた。その中であまりにも多くて驚いたのが、30代で同棲してた彼女に振られて新しい相手を探している、というパターン。


一般的に見てルックスが悪くなく、高学歴高収入でスペック高め、なんでこんな人がマッチングアプリで彼女を探すのか?というタイプの男性はほとんどこれだった。


確かに、何年も同棲して結婚を考えていた相手に突然去られるのは痛手が深い。しかし彼らはなにもギャンブル中毒とかドラッグ中毒とか女癖がクソ悪いみたいな、どうしようもないダメんずではない。今からでもすぐに新しい彼女ができそうな、それぞれに魅力的な人たちなのだ。


私はいつしか、そういった傷心の男たちの行く末を見守るアプリ越しの盟友になっていた。単に興味があったのだ。彼らをマッチングアプリの世界へと誘う、大人の男特有の寂しさとはなんなのか。



30代半ばも過ぎれば、我々は誰しもがある意味では1人なのではないか、と私は思う。


結婚して家庭を持っていても、主婦であれ会社員であれアーティストであれ、みんな何かしらの自分というアイデンティティを背負って世界に向き合っている。一生を共にすると決めたパートナーであっても、相手の存在を肩代わりしてあげることは永遠にできない。


もし「自分は寂しさなんて感じない、パートナーがいるから」と言うのであれば、それはおそらくどエラい共依存関係だろう。


誰かと一緒に暮らしていたって、自分という存在の責任を取れるのは自分自身だけなのである。年齢を重ねる事にその責任は大きくなっていくけど、その分誰かが責任を取ってくれるわけではない。


これは経済的な話ではなくて、その人がどういう価値観でどう自分を大切にして生きていくかということ。配偶者に養われている女性だって、主婦としてや母親としての自分の在り方に悩まない人なんていない。

30代半ばに差し掛かってから、同年代の既婚男性からの連絡が増えた。

20代で結婚した時はキラキラしていた彼らも、今は小学生の父となり妻や子には言えないモヤモヤを抱えているようだ。(いや性欲とかじゃなくてな)


大人の男なんて、みんなどこか寂しいのである。

いや女もかもしれない。


これを言っちゃあおしまいな気がするが、まあでもそういうもんでしょ。


Tinderのプロフィールに「Looking for somebody special who really gets me」と書いていた男性がいた。

自分の事を完璧に理解して、認めてくれる特別な誰か。


それってさあ、結局自分自身じゃない?


私たちは残念ながらもう子供じゃないから、漠然とした寂しさを感じる瞬間なんてこれからいくらでも現れる。


でもそもそもその寂しさは「埋める」ものではない。
人はどんなに幸せでも、過ぎて行った時間や、手に入らなかったものや、見ることのなかった景色について何となく思いを馳せては寂しくなる生き物なのだ。


傷心の男たちはまだしばらく都会の喧騒を彷徨うのかもしれない。


私は、カフェラテでも飲みながら次の旅の航空券を探すことにする。