バーチャルTinderツアー Vol.4 Berlin

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Miquinox100% “Tinderツアー”


「コイツどうせ途中で飽きたんだろな」って思ってた皆さん、こんにちは!

いや〜一応ね、忘れてませんよ。

緊急事態宣言中、暇を持て余した独身三十路女(わたし)が始めた謎プロジェクト「バーチャルTinderツアー」ですが、見知らぬ人との気まぐれデジタル文通というかたちに着地し、なんとなく細々と続いているのである。

とはいえ最近は普通に社会生活も営んでいるし、(まあ常時リモートワーク since way before the virus だけど)

まだまだ海外渡航も厳しい情勢が続くと思われるので、別に話が盛り上がったからといって「よ〜し!海外に会いに、行っちゃ、おー!!」みたいなノリになるわけもなく、ただただ我々は思い出した時にデジタル文通を交わすのみの、熱量低めなデジタル外交を続けている。

まあそもそもここで恋愛を求めているとかじゃないんで、なんでもいいんですけど。
面白ければ…。

ドイツにいるマーティンはサイトランス育ちのダンスミュージック好き、普段はスクワット(不法占拠)により構築された(ほぼ)自給自足型のコミューンのようなところに住んでいるらしい。

ううむ、聞くだけでも香ばしい…。
麻を燃やしたような匂いがしてくるね!

なんですかね、20代の頃って自分の周りにそういう人多かったんですよね…。
この手の人はあれだ、ときめきこそしないものの、シンパシー感じちゃうよね。


ガッツリ左翼を自称する彼は、そもそもTinderなんかにいる事自体すげえ違和感ありそうなタイプだ。

本人も「TinderどころかSNSとか普段やってないし、暇だからやってみたけど、こうゆうのやっぱ苦手だわ。」とのこと。

本末転倒感だなオイ。


でもその価値観はじんわりわかる、わかる気がするよ…ていうか私も本来Tinderにいるような女じゃないんすよね〜そういえば!(てへぺろ)

というわけで我々は場違いプラットフォームTinderを離れ、e-mailに移行。

友達とe-mailする感じって、なんか懐かしくない?
最近みんなメッセンジャーとかラインとかWhatsappとか使うようになっちゃったよね。


マーティンは基本的にはフランクフルト市外にあるコミューンで暮らしているが、音楽関係の仕事でベルリンに滞在しているうちに街がロックダウンしてしまったらしい。

コミューンには小さな子どもも多いためだろうか、都市部で過ごしていた彼はハイリスクグループということになった。
あれよあれよという間に移動の自粛を余儀なくされ、ベルリンに閉じこもることに。

↑マーティンが送ってくれたコミューンの一室。謎アートの制作過程と思われる。基本的に「すごい酩酊して撮りましたか?」みたいな写真しか送られてこないので、何がなんだかよくわからない。

1人に1キャビンがあてがわれそこで生活をしていて、敷地内にはオーガニックファームもあり野菜を売って収益を得たりもしている。
子供連れで入居している家族も多いんだとか。

自給自足のルールがあるわけではなくて、外で仕事をしている人もいるみたい。

このコミューンは30年以上前、まだスクワットが合法?だった時代に占拠された土地で、現在はスクワットがより厳しく法で禁じられているらしいが…。

でもスクワッターも自治体や企業と契約を交わしたりして、合法的に住み続ける術を模索しているらしい。

この土地に関しては、いちおう不法占拠ではあるのだけど、現在の法律では強制退去の対象にはならないんだって。

私もこの話を聞いて気になって調べてみたのだが、ドイツにおけるスクワット文化というのは政治的思想と深く結びついているんですね。

単に貧しい人達が住居を求めて廃墟を占拠、というだけでなく、その行動には政治運動の意味合いも強く関係しているよう。
マーティンも、こんなデジタル文通の文面からでも、そのアナーキストっぷりがひしひしと伝わってくる。



ううむ、日本の若者やメディアに流れる”政治感”みたいなものと比べると、なんか色々考えちゃうよね。

この国はほら、「そこ必要ないでしょ」みたいな炎天下の屋外でもマスク着けて歩いてる人がぞろぞろいて(同調圧力?)、政治にあれこれ言うどころか、何も言わず死にそうになりながらルールに従うのが美徳みたいな空気感だからね。

そんで実際みんな死んでるよね。
死ななくていい人達が若くして死んでたりする。

なんかなあ。

このコロナ禍において世界は「変化すること」を強いられていて、それは例外なく日本人もだと思うのだけど。


私は最近、ステイホームをもう一回やりたいなあと思う。

経済的に困窮する人がいるという問題は置いておくとして、(本来ロックダウンは然るべき補償とともに行われるべきで、それが行われなかったのは政治の問題なので)

あんなにも「当たり前」が見事に崩れ去り、海でボーっとするだけで平和の素晴らしさをしみじみ感じ、無駄だと思っていた時間の使い方が尊く思えるようになった体験が、これまで他にあっただろうか。

私はあの瞬間を大きな経済的不安や体調の心配なしに迎えられたのは、ある種のギフトだったと思っている。

仕事が全然なくなって自分の会社つぶれるかも、みたいな状況だった友人ですら、「でもこの生活リズムはずっと続いてほしい」とこぼしていた。

とにかくみんな忙しすぎたのである。

これまで当たり前に行っていた仕事も社交も娯楽も、全て過剰だったし私たちは本当に選ぶべきものを全然選び取れていない。

ミニマルに生きているつもりでも、それでも本当は必要のないことなんてたくさんある。

ちょっと気を抜くと生活は余計なもので溢れてしまい、頭の中は要らない思考で溢れかえる。

そもそも「人生を自分でコントロールしなければならない」という思考自体が要らないものなのではないか。

私たちは幸せになるために、遠くのどこかに行って必死で木を揺さぶってリンゴを落として手にしなければならないのだろうか。

そんなに頑張らなくても「いまここ」にいるだけで楽に生きられる仕組みは、本来作れるはずだし、流れに任せて生きてても人はそうそう死なない。本来は。

それがこんなに死んでしまう人が多い国ってのは、色々と狂ってるんですよ。
ヒューマンエラーだよ。

だからそれを忙しさにうやむやにされては、いけないのである。


今また社会が少しづつ普通っぽさを取り戻し始めて、生気のない鶏ガラみたいなおじさんが新総理に君臨して、濁った眼で「経済」って呟いてる。

税金納めるためにクソ忙しく働いて、鶏ガラに旨味だけ吸い取られていく日々なんてまっぴらである。


思考を止めて、ひとりになって、自分を見つめるのは時として苦しい。

だから私たちは忙しさで自分をかき回して、なんとなく日々を生きてしまう。

思考停止したまま、お金を稼いでは使ってを繰り返す。

そしてそれは一部の人たちにとっては都合がいい。

今後社会が「元に戻ろうとする」ほうに再び強く流れ出したとしても、忙しさで自分をごまかさないで。



時代はすでに変わり始めているよ。