生産性で自分を測るのをやめてみた

最近1日10時間寝ています。

別に前日飲みすぎてうっかり寝過ごしちゃったとかそういうんじゃなくて、意識的に寝るようにしている。

友野なおさんという睡眠コンサルタントの方の本を読んだせいもあるんですが、眠りって結局大体の問題解決するよね…?と気付いてからとにかく「睡眠時間を削らない」ということに全力を注いでいる。


1日10時間は寝すぎだろ!

と思う方も多いでしょう。

いや私もそう思ってたし。

そもそも日本の常識では「生産性で個の価値を測る」みたいな価値観が定着してるので、
寝てばっかで生産性の低い奴はクソ、みたいな感じあるじゃないですか。

もうね、常に忙しくタスクをこなしている人こそ評価されるこの世にあっては、

寝る間も惜しんで皆のために働いてる人とか、
寝る間を削ってでも人より努力して何かを積み重ねてる人、

とかが素晴らしいとされるわけですよ。

寝て食って遊んでるだけでも存在価値があるのは子供だけで、

36歳の私(主婦業も子育てもしていない)が
寝て食ってテキトーに疲れない程度に働いて、のらりくらりと楽に生きてるなんてあってはならないんです。

だって、みんなそれくらい寝てないんだもの。

もうあれだ、気が立ってるんですよ。

日本全国総睡眠不足みたいなもんだから。

めちゃくちゃ寝るようになって気付いたのは、友野さんも言及している通り「寝た方が結果的に生産性」が上がるということだった。

まあ私はそもそも生産性上げることがゴールではないんだけど。
生産性とかクソくらえだと思ってるし。

でも実際、良質な睡眠をしっかり取っているほうがパフォーマンスが上がる&正しい判断ができるようになる&精神状態が安定するのは確かです。

他にも睡眠で得られる良いことはいっぱいあるんだけど、私にとって何より大きかったのは睡眠そのものより「寝ることを自分に許した」ことだと思う。

つまり生産性で自分をジャッジするのをやめたってことです。

私は元来とにかく自分のやることなすこと全部許せないと思っているタチなので、連休をまるまる寝て過ごしたりしようものなら

「ああっ!こんなに何もしないで過ごしてしまった…!!あれもこれもできてねえ!!クソ!クソ!!自分のクソ!!!!!」

って自分を脳内処刑にかけるということが日常的に起きていました。

でもさー、この脳内処刑ってさらに自分を疲弊させて生産性を下げるだけで、なんの意味もないんだわ。

めちゃ若い時だったら、寝ないであれもこれもやりきるぜ!!!みたいなのもまあアリなんですけどね。

なんかもう私そういう年代じゃないし〜。

あと時代的にも、いま世界は全ての物事が本当に、ほんとうにスローダウンしなくてはならない時にきていると思うんです。

絶え間ない消費社会のさなかにあって、いつの間にか自分自身すらも消費されているような感覚に陥っている人は少なくないでしょう。
わりと健康に楽しく生きているつもりでも、気付かぬうちに消費社会の歯車になっている自分に気付くことは多い。

私が長く触れ続けているセラピー、ヨガ、オーガニックな食べ物やコスメ、こういった本来「自分を大切にするためのツール」だったカテゴリすらも今は商品化され、「自分にほんとうに必要なもの」を選び取ることが難しくなっています。

都会に住んでいる私と同年代くらいの働く女性って、忙しく働いて社交して、その疲れをリカバーするためにめっちゃお金と時間かけてる人も多い。

新しいオーガニックコスメ、ボディメンテナンス、高い食事…そのどれも良いものであることには間違いないのですが、ただほんとうに全部ぜんぶ必要?

そもそも、そんなに疲れてしまう原因ってなに?
もし、疲れるまで頑張らなくてもいいとしたら?


いま新型ウイルスのパンデミックとかで、社会がちょっとギスギスしています。

特に海外をウロウロしているリモートワーカーの友人達からは、
「アジア人ってだけで差別をうけた」
なんて声も聞かれます。

ウイルスの影響で仕事がなくなってしまった人達は、何も生産できない自分にもどかしさを感じているかもしれません。


私は韓国人として日本に生まれ育ち、子供の頃から折につけて人種差別というものを目にしてきました。

大人になった今思うのは、差別している人に対して「差別ヤメロ!」「差別ダサい!」と働きかけることが解決策ではないということです。

他人をなんらかの理由で差別する人というのは、相手の人種や外見、性別、はたまた生産性でその人を測ろうとしてきます。

それに対し差別被害者として過敏に反応することもできますが、そもそもそういったジャッジメントは誰もが自分自身の中に抱えているものではないでしょうか。

自分は生産性が高くないからダメ。
あの人に比べて能力が低い。
〇〇人だから評価されづらい。
男/女/トランスジェンダーだから〜…。

他人が投げかけてくる言葉は確かに強いですが、そこに自分の自己価値を左右できるだけのパワーを与えているのは、実は自分自身です。

誰もが表面的なことで相手をジャッジしない、許し合える世界になってほしいならば、まずは自分が自分を許すしかない。

私は在日外国人として差別を受けてきたし、女性ということで性的な嫌がらせを受けたこともあるけど、それでMe Too騒ぎを起こして加害者を言葉でブン殴るのは自分の役割ではないと思っています。

いやまあそういうフェミニストの方々も必要だと思うんだけど、
私そういうんじゃないし。

他人をジャッジしている人って、実は自分自身を1番激しく批判しているんだと思いますよ。
心の奥で。

「こうでなければならない」
「他人より劣っていてはならない」

という気持ちから自分を正当化するためにとる行動が、他者を差別するという行為なんだと思います。

だから私達は、やさしい世界をつくりたいならまずは自分自身を許すしかない。

誰からもジャッジされない自由な社会をつくるためには、自分のことをジャッジしない、生産性なんかで自分の価値を測らない人がどんどん増えていくべきなんです。


写真に写ってるのは、チェンマイの古本屋の看板猫。

生産性なんか1ミリもないけど、皆に称賛されて愛される存在です。