家なき人たち

ビッグイシューを毎号買っている。

きっかけは去年。
CBDや海外の大麻情報を扱うメディアで仕事した時に色々リサーチしていて、ちょうどその頃ビッグイシューで「大麻特集」というのをやってたことから手に取った。

初めて声をかけた駅前の販売員さんは気さくな方で、「この大麻特集ってやつ気になってたんですよ」と話したら「いいでしょ?この表紙(緑の麻模様だった)もカッコいいでしょ!」と誇らしげだった。

ビッグイシューってどんな内容の雑誌なのかそれまでよく知らなかったが、ここまで本気で社会情勢や色々なカルチャーに触れているのかと驚いたものだ。



ビッグイシューには各国の販売員さんを毎号1人クローズアップして取り上げるコーナーがあって、男女問わず色々な人のバックグラウンドが垣間見れる。

私はそこに出てくる人たちを全員、自分だとおもっている。


そこで紹介されている販売員さんたちは別にものすごい犯罪を犯してホームレスになったとか、大きな事業に劇的に失敗したために一文無しになったとかそういう感じではない。

彼らは生い立ちの中でうまく自尊心を育てられなかったために、人生のなかで自分の幸せをシンプルに追求することができず、いつの間にか心を壊してしまって当たり前の生活すらままならなくなってしまう。

決して「ものすごく稀な不運」に襲われた人ではないのだ。
どこにでもいるような人が、自分を追い詰める選択の繰り返しの末に、家なき人になっている。


私だって私の親だって、何かがひとつ違ったら路上にいたかもしれない。
と私は大げさでなく本当にそう思う。

私の親は韓国系の移民なのだけど、彼らの日本での生活が気楽なものだったとは私には到底思えない。

度重なる苦難で、もし若い頃に心を壊してしまっていたら。
自分の子どもを愛する気力も失ってしまっていたら。

私だってそこにいた可能性は高い。


だから彼らのストーリーが全て、もうひとりの自分の話のように思えてならないのである。

上流階級に生まれ高学歴で順調な人生だったのに、幼少期のトラウマから薬物依存に陥り、いまも依存症の完全克服を目指しながら販売をしている女性。

自己価値がうまく見出せなかったために、自分の家をもつという当たり前の行為すらも自分に許すことができず、長い借り暮らしの末ホームレスになった男性。

彼らはどこかの匙加減で進む方向が変わっただけで、みんな私自身の別の姿だと思う。



たまたまネットをぼんやり眺めていて、政治家の優生思想的発言が問題になっているのを見た。

命の選別とやらのやつね。

そういう思想って、無意識下で誰もがうっすら持っているものなのだろうとはおもう。

ただ、弱者であることって決して「ものすごく運が悪い遠くの誰かが陥る事態」ではないよね。

そしてそもそも弱者が弱者であるという概念すらも、幻想なのではないだろうか。

自分だってひとつ歯車が違えば、急に難病で動けなくなったり事故にあったり、心が折れて全部ムリになって路上に出ることがあるかもしれない。


家なき人たちが決して自分と対岸にある存在ではない、ということだけは、どこにいても忘れずにいたい。