アフリカに引っ越してしまった親友が、旅立つ前にくれたキャンドルを灯してこれを書いている。
先週の新月に合わせて、友人数名と集まってNew Moon Gathering的なことをしてみた。
言っておくが女子会の類ではない。
我々は全員over30どころか四捨五入すれば全員アラフォーである。ここには女子など存在しないし、いるのは現生に生きる魔女だけだ。
しかも全員が結構な魔術の使い手であるからタチが悪い。
世が世なら全員焼かれていたと思う。
新月は物事を一掃して、新しく始めるのに良いとされている。
今このタイミングで、自分が手放したいことってなんだろうね?という話になった時、私は「家」を手放したいんだと気付いた。
気付いて、しまった。
20代の頃、定住の地を決めず旅していた時期があった。
家を持たない生活というのは、すごく自由なようでいて、時としてものすごく苦しい。
自分がどこにも所属しないという疎外感と、このまま流れてはいられないという焦燥感、この先がどうなるか1ミリもわからないという恐怖感と常にdealしながら日々の自由を勝ち得ていた。
私にとって住所のない生活は、そんな修行のような日々だった。
スイスの片田舎で、夕暮れ時にご飯の香りがして知らない家にほんのり明かりが灯っているのをみた時、何かどうしようもなく泣けてきた日のことを今でも覚えている。
もはや日本むかし話の「人間っていいな」のレベルである。
地域に属しなんらかのコミュニティに属しているということは、それ自体が人間を人間たらしめるだけのパワーを持っているのだ。
その属性を持たない私は、人間になりたいクマの子だった。
もちろんそのぶん刺激的で楽しい体験もいっぱいしたけど、旅の中に生きることは夢物語のように楽な話ではなかった。
30歳で日本に帰ってきてから私は、また旅に出るのかもしれないと漠然と思いつつも「あんな暮らしがまたできるほどの気合いがあるんだろうか」と頭を掻き続けていた。
短期で日本を出ることはあっても、住所を手放して旅に出るようなことはあれ以来していない。
でも最近になって仕事もリモートワークでいける可能性が見えてきて、いよいよ「東京にいなきゃいけない」という言い訳も使えなくなってきた。
そんな時にされた「何を手放したいの?」という質問に、私は即答で「家」と答えたのだ。
そっか。私はまた全部手放して旅の中に呑まれてしまいたいんだな。
呑み込まれることでコントロールする術を覚え、いつしかバランス感覚を養い逆立ちしながらでも歩いていけるようになる、旅人という遊び。
私はまたあのゲームがしたくなっている。
もう若くない私はあの頃ほど情緒不安定でもないし、今はデジタルノマドも当たり前の存在になった。
定住せずとも仕事をしてワークライフバランスを保つことが可能になった現代では、もう私が見知らぬ土地でクマの子になることもないのだろう。
あんな気持ちになるのはあの時が最後だったんだとしたら、なんだかあの日のことも、愛おしいけれど。