バスの中で彼はコカインをキメた

いろんなことを忘れていってしまうので、時間がある今のうちに記憶を紐解いて、書き留めておかなければならない。

思えば20代の頃あんなに1人で旅をしたのに、どこにもその頃のことを書き残していない。

ずっとずっとただ日々をアップデートし続けることに忙しかった。

「落ち着いたらいつか振り返るだろう」と思いながら何年も過ぎた。

結局、未知のウイルスが世界をストップさせるまで、私の心が落ち着くことはなかった。

Zoomどころかテキストで済むような下らない打ち合わせも、本当は大して興味のない相手との食事も、見えない誰かに好かれたくて無意識に続けていた消費活動も、ぜんぶぜんぶストップした。

今はすべて私の世界からなくなった。

誰かのために着飾ることにも、聞きたくもない話をきくことにも、「いい人」でいるために費やしてきた時間はもうぜんぶ私のものだ。

まあ、本当は最初からぜんぶ私のものだったのだけど。



8年くらい前の今ごろ、たしかヨーロッパにいた。

スイスから入っていくつかフェスを回った。

旅の初めに当時の彼氏とケンカして、「もう!」って地面にブン投げた荷物にカメラが入っていた。

私のRICOH GR DIGITALは2度と動くことはなかった。

だからこの旅の写真は全然残っていない。

ケンカの原因は彼の元カノがやたらと家を訪ねてくることだった気がする。

馬を2頭飼っててエステサロンを経営してる、ケンカの原因ではあるものの結構いい女だった。

まあそれはおいといて。

私の頼りない脳をスキャニングして、当時のデータがなにか残っていないか探ってみよう。






アムステルダムの夏は短い。

夏がほぼ終ろうとしていた9月の初め、私は1人でアムステルダムのローカルバスに乗っていた。

街の外れの倉庫街を占拠して行われるMAGNEET FESTIVALに向かう途中だ。

先週アヌークさんと行った街のマーケットで買った、ファーのベストをキャミソールの上に1枚で羽織っている。

季節感が謎だけどこれでいい。
だってフェスティバルだもの。

アヌークさんは私が泊まっているB&Bのオーナーで、車椅子のおばあちゃん。

友人のAraちゃんに紹介されてたどり着いたそこは、B&Bとは名ばかりでただの民家だった。

今で言うAir bnbみたいなやつだ。

アヌークさんの家の空き部屋を間借りするようなかたちで、まあ安いし安全だし静かだけど常にアヌークさんが家にいる。

しかしアヌークさんは実は、ただのおばあちゃんではない。

この人はサイトランスシーンで知らない人はいないGMSの、今はなきBANSIの母なのである。

「息子とはあまり折り合いが良くないから滅多に会わない」ような事を言っていたが、さすがサイトランスアーティストの母だけあってなかなかヒッピースピリットに溢れた淑女だった。

結局私は滞在中アヌークさんの車椅子を押して、オーガニックマーケットやニューエイジ系の古本屋など色々なところに一緒に行った。

彼女もそんな時間を面白がっているようだった。



さて、ぼんやりと車窓を眺めているうちに目的地に着いた。

Araちゃんを通して地元のフーパーであるFlorisが、私をゲストリストに入れてくれていた。

彼は日中フェスの中でフローアートジャムをオーガナイズしている。

なんだかよくわからんが私はそこのスタッフということになってるらしい。

フローアートのエリアにはFlorisたちのバスが停っていて、そこを囲むようにフープやジャグリングを楽しむ人がたむろしていた。

キッズも遊んでて、平和なフリージャムという感じ。

MAGNEET FESはかなりローカルなフェスなので、外国人とおぼしき人が全然いない。

アジア人も見る限り私だけなので、キッズたちが珍しそうに「どこからきたの」「フープおしえて」とまとわりついてくる。

フェスの中で、数年ぶりにマージーと再会した。

マージーは2009年に奄美の日食フェスで会った女の子で、日本語が全くわからないのに1人で車を借りて離島にやってきたツワモノだ。

ちょっと前に連絡した時は「オランダの就職難がハンパなくてマジで仕事がない。明日のパンも買えない。」と言っていたので、ネットで彼女のアート作品を購入した。

ちなみに今でもその絵はうちにある。

再会したマージーはアート関係のスクールに行っていて、美術商になるための資格を取ろうとしているらしい。

オークションでの仕事に就ければ、生活が楽になるから。
と言っていた。

相変わらずの綺麗な赤毛が、暮れ始めた陽に照らされてオレンジに光っていた。




日が暮れるとFlorisが神妙な面持ちで、「Miki、ちょっと来て」と私をバスの中に呼び寄せた。

いつの間にかキッズはいなくなり、このあとは夜通し倉庫の室内でテクノパーティが行われる。

「オマエも吸うか?」と人懐っこいスマイルでFlorisがコカインを取り出した。

真面目な話かと思ったらただのお誘いだったらしい。

そういえばAraちゃんが「最近Florisはハードドラッグやりすぎな気がするのよね」とこぼしていたのを思い出した。

私はフェスティバルシーンにおけるドラッグカルチャーって切っても切れないものだと思うので、偏見は全然ない。

でもかなり若いうちからフェスカルチャーの中で遊んでいたので、この頃にはドラッグに対する興味も失っていた。

「私はいいや」と断ると、Florisは遊んでもらえなかった子供のような顔で一瞬だけショボンとして、さっさと自分用のラインを引きだした。

それを横目に私はバスを出て、倉庫へ向かう。

途中でワインの瓶を片手に歩いてきた、知らない男の子に話しかけられる。

「日本から来たのか!1人で?!」

面白がった彼は、友人たちのいるキャンプファイヤーに私を連れて行ってくれた。

「みんな!オレの日本人の友達だよ!初めてできた日本人の友達さ!!」

フェスってそれぞれ空気感があると思うが、このMAGNEET FESはとにかくアットホームで人の距離感が近かった。

そもそも外国人もあまりいないようなドメスティックなフェスなので、海外の、しかも日本とかいう未知の国から1人でやってきた私は異星人のように歓迎された。

空気はひんやりしてきたが炎が暖かい。

パーティの夜がはじまる。


(つづく)