8年ごしに届いたラブレター

きのう知人(PONTE編集長の青木くんね)がSNSで紹介していた本が気になって、購入してみた。

その本の良さについては私が語るまでもないのでここでは置いておくとして、
(「バウルを探して」著者:川内有緒(文)、中川彰(写真)→こちらで詳細が見られます)
私がこの本がどうしても気になってしまったのは、その表紙を見ただけで突然ある人のことを強烈に思い出したからだった。


その人は20代のある頃にものすごく私に近かった人で、サドゥー(修行僧)の存在に魅せられて何度もインドへ渡り、いつの間にかサドゥーたちが手仕事で作るバババッグというものを自身も制作するようになっていた。

当時私が20代前半で、彼女は27~28くらいだっただろうか。
ドレッドヘアーがトレードマークの、ものすごくパワフルでクールな人だった。

何年か経った頃、私が海外に住んでいる間に彼女は難病にかかり、そのまま消息不明になった。

最初のうちはたまーにメールや電話がつながっていたが、いつからか全く連絡が取れなくなり、自宅も引っ越してしまい、誰もその後を知らない。

強気なのに繊細な彼女のことなので、弱った自分は誰にもみられたくなかったのだろうか。
まあ自由な人だし、ふいに誰も知らないところで新しい暮らしを始めたくなっただけなのかも。

その実は今となっては誰も知る術がないのだが、この「バウルを探して」を開いて、私はなんだか無性に彼女のことを思い出したのだった。

「バウルを探して」では前半が写真家の故・中川彰さんの写真で構成されている。
この本自体はバングラデシュの旅の記録で、まあバババッグの話とは全く関係がない。

でもなんとなく、私の中で色んなものがリンクして、彼女のことが浮かぶ。
彼女を知ってる人がこの本を開いたら、みんな「ああ」と言うだろう。

彼女がかつて魅せられた世界も、こんな色だったのだろうか。

もう最後に連絡してから7年ほどになる。
メールフォルダを開くと2013年に私が送ったいくつかのメールが出てきたが、どのメールにも返信は来ていない。

そのままメールフォルダをスクロールしていたら、いつか私が旅先から送ったメールが出てきた。

それは確か彼女がバッグ作りをサイトや個展で発表するようになった頃。
確かサイトに載せるかなんかで、最初の作品を持っている私のコメントが欲しいと言われ送ったものだった、ようだ。

正直それを書いたことすら全く記憶にない。
でも明らかに2012年のある日、私はその文章を書いて彼女に送っていた。

その文章がなんだか、まあ自分で書いたわけなんだけど、あまりにも記憶になさすぎていま突然2012年の私から送られてきた手紙のように見える。

どこかの誰かが書いたものを、はじめて見せられているようだ。

なんだかあまりにもびっくりしたので、忘れないようにここに載せておく。


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2012年  4月19日。新年を祝う祭りソンクランが終わり、段々と観光客が減りつつあるバンコクに戻って来た。

この一ヶ月ほど、バリにてジャグリングコンベションとファイヤーパフォーマーの集うリトリートに参加し、世界中からやって来たハイレベルなパフォーマー達と共に過ごした。

なんにもない島を出てタイに戻って来て、久しぶりにネットを開いて見たら、親友の続山加奈子からのメールで彼女のバッグの紹介を書いて欲しいと言う。
今まさに私の傍らにあり旅を続けているバババッグをしばし見つめる。

初めてこのバッグを手にしたのは確か24歳の時。
いつのまにか4年もの月日をこのバッグと共にしてきた事に自分でも驚く。
当時まだフープダンスを始めたばかりで、大きなバッグパックとフープとバババッグ。この三点セットをトレードマークのように背負って旅していた。

10代の頃ジャズダンスに多くの時間を費やした私が、プロのダンサーとして食っていけないという挫折を経たのちにフープやファイヤーに出会い、野良パフォーマーとしての道に足を踏み入れた頃でもあった。
果たしてこのバッグは、私の4年間の何を見てきたのだろうか。振り返ること無く走り続けたこの4年間を、バババッグ越しに紐解いてみよう。

このバッグがやって来たのは24歳の秋、夏の間ヨーロッパのパーティーでバカみたく遊んで、小遣い尽きて日本に帰ってきたころだった。
彼女がなにやらモノ作りを始めたのは知っていたが、その記念すべき第一号を私に贈りたいとは何事か。
当時、東北沢にあった彼女の家を訪れると、いつものように手作りのチャイとケーキと一緒に、思いっ切り派手なボンボンをまとったバババッグが待っていた。

不思議なもので、私がいない間に作ったというのに、その色使いはまさに私のキャラクターそのもので、このバッグは他の誰でも無い、私の為に存在しているんだと感じた。
当時まだ若くて人との距離感がうまくつかめず、他人は私の事なんかちっとも理解していないと常に思っていた私が、自分が思っているよりも周りの人間は私の内面を見透かしていて、私の背後に漂う「色」を、言葉で説明せずとも理解している人間がいるんだと気付かされた瞬間でもあった。

彼女は確か、このバババッグには旅のあいだ私を守ってくれるよう力を込めてあるから、と言っていた。それを裏付けるかのように、後日彼女と出かけたあるイベントで出会ったヒーラーの女性に、続山は「力の人」、私は「流れる人」だと言われ二人してフムフムと納得する。

流れる人とはよく言ったもので、四年経った今でも、私はどこかひとつに留まることを嫌い、刺激を求めて流れ続けている。
しかしその方向性は、このバッグを手にしたあたりから、ただフラフラと流れるのではなくパフォーマンスアートというひとつのテーマを軸に流れ始めた気がする。

あの頃、まだ今ひとつ自分自身に確信が持てず流れるというよりは彷徨っていた私が、このバッグが何度も旅に出て色褪せて、古びれてくればくるほどに私は自分の存在に絶対的な信頼を抱くようになり、未熟者ではあれど自分は何かしらの表現者であるという自信と使命感を持って旅をしている。

それはまるで、このバッグに続山が込めたパワーを、私が吸収し自分のものにしてきた過程のようでもある。
パワー。力。続山がバッグに込める「力」とは一体何なのだろう。

私は、この世界における自分の役割は、自分の名前の通り「美」と「喜び」を表現することだと思っている。

では美と喜びとは何か。それは愛である。

美しいものを愛おしいと思う気持ち、他人の、または自分の幸せを、世界の平和を喜べる気持ち、それは全て、自分自身とこの世界に生きとし生けるものに対する愛に由来する。

芸術というものが、結局のところ全て愛の様々な表現であるならば、続山がバッグに込めるものもまた愛なのだろう。
彼女はバババッグの一針ごとに愛を込め、持つ者に愛を与え幸せを祈り、私はその愛を胸に、流れ着いた先々で火を灯し輪を回し、愛を伝えている。

四年前は愛だなんてこっ恥ずかしくて言えなかった私が、このバッグと旅した期間にrealizeしたことは、結局、愛がすべてであり、愛こそが使命であるということだ。

バババッグという形で表現される彼女の愛が出会うべく人に出会い、それぞれの使命を果たす力となり、それぞれの形でまた表現されて、この世界中に愛が広がってゆきますように。
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過去の私という独立した存在が書いたこのメールを、彼女の存在を通して、8年後の私がいま受け取った。

ずいぶんと壮大なことを言ってるし、だいぶ自分に酔ってる感もあって超恥ずかしいのだが、事実なのでそのまんまにしておく。


なんだかなあ。


彼女があの時バッグに込めた愛は、私とともに流れて、そして多分私からほかの人へ流れて、もう姿形もつかめなくなった頃にまたこんなふうに、私のもとへひょっこり顔を出したのだった。

紡いだ糸は、ぷっつりどこかで切れてしまったように見えて、今も見えないだけで繋がっている。

まるで、愛だけがずっと変わらないものだとでも言うかのように。