久しぶりに訪れたホーチミンの空港でこれを書いている。
36歳、女、ホームレス。
言葉にするとヤバみしかないんですけど、これ最近の私です!(あげぽよ)
詳しい説明はいいとして、日本に帰ってた2ヶ月くらいのあいだにホームレスになりました。
「ハァ?」
ってなりますよね。
うん、わかる、わかるよ。
いや自分でも「ハァ?何これ」って感じなんですけど。
まあハショリまくって説明すると、引越しをしてしばらく都内に住むつもりが物件にまつわる諸事情で(一言で言うと事故物件だった)
引越し中止を余儀なくされ、
でも元の家はもう解約手続きが済んでたので退去するしかなく、突然東京砂漠に放り出されたホームレスになったというわけです。
まあ普通の人だったら「ヤベー家ないよヤベー!!」っつって即不動産屋に駆け込むんでしょうが、
「え、ホームレスじゃん」と気付いた時、私の中で忘れていたあの感覚がふとよぎったのです。
昨年の秋、東京のマンションで私はこんなことを考えていた。
→「ぜんぶ新月のせい」
そもそもリモートでできるwebライターという職種でフリーランスになったのは、家を捨てて旅の中に生きたかったからだった。
2020年はもう家など捨てて、1人で旅しながら暮せばいいじゃない。
確か去年はそんなことを考えていた気がする。
しかしながら旅して生きることのハードさと東京の生温い快適さも知っている私は、数ヶ月の間にまた
「ハ〜東京ラク〜〜さいこう〜」
とぬるま湯に浸かり本来の目的を完全に忘れ去っていた。
東京という街にはdistractionが多い。
なにやら清潔で快適な暮らし、やたらとにこやかで親切な人々、可愛い日本人男子とかがせめぎ合っているこの街は私にとって、いとも簡単に本来のプランを忘れさせる危険なユートピアである
(日本人の男の子ってなんであんな皆カワイイんですかね最高じゃないですか?)
というわけで私は、この街に捕まっては「ハッいかんいかん!」て旅に出るルーティーンを人生で永遠に繰り返している。
しかし今回はその振り幅が異様に激しく、振り切ってリアルホームレスになってしまったのです。
ホームレスになった直後、なぜかこれまたリモートワーカーとして世界を旅している友人たちから立て続けに連絡があった。
「ホームレスになりました」
と告げると
「え?ああオレもだけど…」
「え、私もホームレスだけど…」
「もうしばらくノマドやれってことじゃないの」
「それ旅するの一択じゃね」
みたいな答えばかりが返ってくる。
なんだよこの大人たち。
これが普通に東京で家持って暮らしている人達だったら、全然違った返答なんだろうけど…。
というわけで東京生活が強制終了となった私はいま36歳ホームレスライターとなり、地球の上澄みにぷかりと浮いて彷徨っている。
10代も20代も、なんなら幼少期から全くもって世間に適応できず
「踊るしかねえ」
「踊るか死ぬか」
みたいなクソヒッピーライフを送ってきた私でしたが、
まさか30代も後半に差し掛かってまたホームレスやるとは思ってなかっ…いや思ってたかも。
昔どっかの国でなんだか知らんけど参加したダンスメディテーションみたいなやつで(ディテール雑)
シャーマンの女性に
「あなたは、流れる人。」
と一言だけポロッと言われたことがあった。
人にはそれぞれ役割がある。
私には私にしか全うできないプランがある。
それがいかにトンチンカンで狂ってるように見えても、もうそこに従う以外は本当の意味で「生きる」術などないのだ。
夜の空港でボンベイサファイアのロックを流し込んで、坂本慎太郎さんの「まともがわからない」を聴きながら夜空に消えていく飛行機を眺めている。
もうすぐ私の搭乗時間だ。