Get closer far more than you think you could.

気付いたらこのサイトにログインすらしないまま1年が過ぎた。


あんなに「今後は絶対に頑張らない、ゆっくり生きる」とステイホーム時代に心に決めたのに、いとも簡単に日々の濁流に飲み込まれる。


仕事途中に窓から空を見上げて思う。


こんなに毎日毎日毎日毎日なにかを選択して行動し続けているのに、自分が3秒前に何を選んだのかも思い出せない。

悔しい。

こんなことでは自分が肉体を以て何をしたのかもわからないまま死んで行くことになり、自動的に来世で同じゲームをやり直すことになる気がする。

そんなことにならないよう、ちゃんと過ぎたことを思い出しながら生き続けなければならない。

身体を通して何を見て感じたのか、たまには書き留めておかなくちゃ。



年末にドキュメメントというドキュメンタリーの映画祭に、縁あって遊びに行かせていただいた。


主宰のDocumemeさんがどういうことをされてるのかは、映像を観た方が早いので私がアレコレ言うのはやめておくとして。


私がこのコレクティブのことを知ったのは、この映像がきっかけでした。


入管の長期収容問題というのはSNSなどで見たことある方が増えてきているかもしれない。

それでも実際に長期収容されている「人」が、「長期収容者の外国人」にされる前の、私たちと何ら変わりない「人」である時の姿、ふとした仕草や笑顔や冗談や憤りや、その人のもつ温度や匂い…を感じる機会は少ないと思う。


私はこの「祈りの再現」を観て、自分がその場にいたわけではないんだけど、その温度や匂いや重苦しさや、生きている「人」が当たり前に持っているそういったものが彼らにも流れていることを思い出させられた、と感じたのである。


いや本当に当たり前なんだけど。

生きてる人間なんだから。


でも何故かそういうことが、ないものにされてしまっているのである。


そしてそれってマジおかしくないか?という情動のようなものを私たちが感じる機会というのも、ちょっと気を抜くと奪われてしまう。



「祈りの再現」のお2人も、当日登壇をされてました。


あの、めちゃくちゃ関係ないんですけどね、ちゃんとお話する時間はなかったのだけどデニズさんもルイスさんも会場でお見かけしましたが、にこやかで私の5倍くらいは清潔感があってなんかいい香りのするイケメンでした。


私のような謎の見物客にも、ちゃんと目を見て挨拶してくれるような紳士たち。


え、ちょっと待ってください、なんでこの紳士たちが収容なんかされるんですかね、本当に、本当に全然意味わからないし誰もわかんないですよね???


実はこのドキュメメントの会場に行く時、身近な友人の1人を誘いました。


彼女は「祈りの再現」を観てくれたのだけど、「この映像は興味深いけど、イベントとかは興味ないな」と断られたんです。


彼女の正直な言葉は何も間違ってなどはいなくて、むしろ素直に言ってくれてよかったなと思います。



そしてそのことは、私があの場に実際に行って、身体が触れ合うくらいの距離まで近づいてみて初めてリアルに感じた「え、やっぱりこの人たちが収容されるのは絶対におかしいな」という情動ともリンクしました。

そうか、ここまで近づいてみないとこの情動って生々しさを帯びてこないんだなって、あらためて感じたんです。
Otherwise we are never on the same pageでしょう。

自分自身も生活者であって、生活なんて全然ラクじゃないし、綺麗事言ったって他人の面倒なんて見てられないっていう、そういう気持ちは誰もが大なり小なり持ってると思います。

だから私の友人の反応も、ごく一般的なものかと。


そういうことが当たり前の社会で、「もっとずっと身体を近づけてみる」ことがこの情動を自分自身で感じるために、そして伝播させるために必要なんだと感じました。

いやまあ、観る人全員が映像の向こうがわに行く必要があるのかどうかは置いとくとしても。



正直大人になってしまうと、「なんだか気になる」と感じた茂みの中に入って行って枝に引っかかって傷だらけになりながら探検するとか、しないじゃないですか。

さんざん迷子になった挙句なにもみつからない可能性だってありますし。


でもだからこそ、いま「生産的な大人」になった私たちは、もっと無意味に近づいてみたほうがいいのかもしれませんね。




私はDocumemeの方々が作る映像は、その場にいないと感じ得ない温度のようなものを含んでいるなと思っていたんです。

それはまさに撮る人が、その温度に自らの身体を浸しているからかもしれません。
身体を浸して、全力で迷子になってるようにも感じられます。



でもそうやって身体を通して出てきた映像であっても、この社会ではただ消費されていってしまう危なっかしさがあるんだなとも気づきました。



映像だけが消費されて、本来それが伝播しようとしている情動が届かないのであれば、それはもはや作り手ではなく観る側、つまり私たち生活者全ての抱える問題なのだなと。


ルイスさんから「日本は戦争状態だ」という言葉があったけど、それはまさに生活者の私たちにかけられたこの靄のようなものとも繋がる気がしました。

ちょっと気を抜くと引き込まれてしまう貧しさの中に生きているからこそ、その自覚と、もっと近づいてみる、意味なんてなくても、この身体を以てして共に感じることというのを、サボらないで生きていきたいなあ、と思います。




※Documemeの他の映像はこちらでも観られますよ