自粛警察がこわいから小声で言うね。
今日は電車に乗り隣町のコワーキングにまで出かけた。
緊急事態宣言が出てから電車に乗ったのは初めてだ。
裏の家が工事中で昼間は騒音が激しいし、エンドレス自宅作業もいいかげん気が狂いそうになっていたのでやむを得ない。
あのままでは納期が訪れる前に私の気が狂うと感じたので、外で仕事することにした。
駅からコワーキングにたどり着くまでに、アル中のおっさん3人くらいとすれ違う。
海沿いの田舎町なのでもともと変な奴は多いが、普段なら夜の闇に隠れていそうな人種が居場所を失って辺りをウロウロしているのは、ちょっと危なっかしい。
一見平和なように見えて、ところどころに人々の日常が崩壊しているのを感じる。
コワーキングは入り口で検温とか連絡先を記入する以外は、至っていつもと変わらない平和な雰囲気だった。
ただ私語は禁止されているので、前みたいに打ち合わせや雑談してる人はいない。
開け放った窓から、外の雑音が流れ込んでくる。
カタカタというタイプ音と雑音だけが響いている。
ここのコワーキングは絶妙なセンスで、すごく居心地がいい。
本棚に「家畜人ヤプー」や「宇宙クリケット大戦争」が並んでいるところも私好みだ。
今は中止されてるけど、たまに英会話サークルみたいのも行われてる。
参加したことはないが、私が作業してる横で日系アメリカンの先生と生徒さんたちがゴハン食べながら英語で話す声が聞こえてきたりして、なんか癒やされる。
在宅ワークが長い人はわかると思うが、静かであれば人は集中できるかといえばそうではない。
適度な雑音や、人の気配があってこそ安心できるという時がある。
完全に外界から切り離された孤独は長く続くとほぼ苦痛にしかならないが、「物理的に集団の中にありながら干渉されない」というタイプの孤独は程よい緊張感と、同時に「なんとなくどこかに属している気がする」という安心感をもたらす。
雑音もまた、私達にとってエッセンシャルな要素なのである。
スクリーンを通して人と繋がることはできるが、ただ同じ空間に在る、という行為が私達の五感にもたらす刺激は大きなものだったんだなと気付く。
人の動く音、ため息、風の音、車の通り過ぎる音、自分のものではない携帯のバイブ音
そういった全ての雑音が、今はたまらなく愛おしい。
