レイニーていう名前の、雨みたいな色の日本語が上手な猫を飼ってる。
レイニーはよく喋る。
毎日朝5時には起きてきて、「ごはんちょうだい」とよく通る声で要求する。
近所の人には、というか誰にも、レイニーが喋れることは秘密なので、あまり明け方に大きな声で話してほしくないなとは思っている。
猫だし。
猫が流暢に日本語を喋ることが世に知れたら、きっとレイニーはどこか遠くの国の研究機関とかに連れて行かれて、私は引き換えに多額のお金とかをもらって独りで暮らすことになるのだろう。
研究所ではレイニーの細胞を培養してクローン猫とかを作り出すのかもしれない。
今のところは独り暮らしは寂しくて嫌だし、だから黙ってる。
あ、でももしかしたら、こういうふうに皆が黙ってるだけで、実は喋れる猫はたくさんいるのかもしれないな。
「ごはんちょうだい」
明け方の空が窓から覗く部屋で、今日もレイニーがトットコ歩いてくる。
「ごはんちょうだい なんかしっかりした、ごはん」
なんだそれは。
いつものカリカリじゃだめなのかしら。
「しっかりしたごはん 犬のごはんちょうだい」
レイニーは1日に1度は外におさんぽにいく。
こないだベランダで洗濯物を干しているとき、隣の家の庭に出ている犬のエサを盗み食いしているレイニーと目が合った。
はーん。
さてはペディグリーチャムの味をしめたんだな。
でも犬のごはんは無いしなあ、、、、仕方ないのでツナ缶にカリカリを混ぜてみる。
自分にコーヒーを淹れる。
Youtubeでニュースのチャンネルを選んで、前日のニュース番組を流す。
名古屋の入管に長期収容され亡くなったという、スリランカ人女性のことを無表情の女性キャスターが話している。
心なしか、早くこの話題を済ませて、さっさと次のお天気コーナーに移りたそうな瞳の色。
亡くなった女性の写真が映し出されたモニターを、口のまわりにツナをいっぱいつけたレイニーが眺めていた。
「死んじゃうの こわいねえ」
レイニーが言う。
「死ぬのが怖いんじゃないよ、生きられるのに生きさせてもらえないことが怖いんだよ」
「生きるのは 誰だって勝手でしょう?」
「そうだよ、でも勝手に生きる強さを奪われたから死んでしまったんだよ、それがとっても怖いの」
「………ニャァーァ」
突然言葉を忘れたみたいにレイニーが鳴いた。
うん、言葉を忘れたくなる時ってあるよね。
レイニーはいいなあ。
こんな時に簡単に言葉を忘れられる。
「にゃんにゃんにゃーん」
私も真似して鳴いてみた。
そっか、別にこれでもよかったんだ。
さっきのニュースキャスター、あの話題を言葉で「伝える」のがしんどそうだった。
なんでもかんでも言葉で説明しないといけないことになってるけど、言葉なんかで表せない、不思議な記号の羅列みたいな情動を私たちは常に抱えてる。
そもそも言葉を持たずに生まれてきたんだったよなあ。
それでもなんとかかんとか生きていたよね。
オギャーとか泣いたりしてさ。
レイニーも私も同じはずだったのに、いつの間にかみんな言葉に縛られている。
コーヒーカップを手にひんやりしたベランダに出てみる。
情動を言い表せない時は、別に言葉を捨てたっていいんだよな。
そう思い出したら、ずいぶんと長いあいだ頭にかかっていた靄がスッと抜けていく感じがした。
明日もし突然レイニーが喋らなくなっても、たまには犬のごはんをあげよう。