
5am Vol.1 包囲
「君たちは包囲されている。出てきなさい。」
明け方5時。
警察車両から拡声器の声が響く。
窓には色とりどりのサイケデリックなバティックが貼られているので、外は見えない。
ただ少しだけ空いた布の端の隙間から光が差して、外がうっすら明るくなっているのがわかる。
「ああ、、、?嘘だァ、、、、」
パクちゃんが目を擦りながら気怠そうに起き上がる。
正確には起きあがろうとしているが、力が入らず床の上で悶えている。
どう見たってまだアシッドが抜けてない。
こいつは状況がわかってるようで多分わかってないだろう。
布の隙間から窓の外を覗く。
別荘の周りには夥しい数の警察車両が集まって、丸く輪を作るようにこの敷地の入り口を塞いでいる。
パーティは終わりだ。
「よくもまあこんな田舎で、大晦日にあれだけの警官集めてきたな」
小声で呟きながら振り返ると部屋中の床にゾンビのように、まだアシッドやケタミンの抜けないジャンキーたちが転がっている。
ちょうど明け方までプレイしたDJが酩酊しきって使い物にならなくなり、もうまともに動ける人間がいなくなったので音が止まった直後だった。
タレクさんがDJブースの奥にある小さなドアから顔だけ出して、こっちに目配せしている。
まだ「あーー」とか「うーーー」とか言ってキマリ切って悶えてるゾンビたちを捨てて、うちらは逃げなければならない。
この別荘で時折行われているパーティが、「違法薬物中毒者の集まるドラッグパーティー」としてタレ込まれているというのは主催者のタレクさん自身とっくにわかっていた。
おそらく地元住民なんかではなく、シャブ中かなんかでパラノッった関係者によるリークじゃないだろうか。
こういう奴らの集まりだから、まあなんだかんだつまらないことでグループ内で揉めて、顔を見なくなった奴も今まで何人かいるし。
そもそもこの小さな半島の土地はほぼ全てタレクさんの私有地で、漁に訪れる内地の漁師以外に部外者の出入りがない。
橋ひとつ隔てて完全に外の世界から切り離されているので、近隣住民自体がいないのである。
ここで「パーティ」をやるのは金になる。
でもタレクさんがここまでのリスクを負ってでもパーティを続けたのは、金のためだったのだろうか。
紹介制で集まる客たちは、ある意味でとても「品のいい」ジャンキー集団だった。
生活がボロボロで廃人寸前、気を抜いたら2秒で財布を取られそう…みたいな座った眼をした奴はまずおらず、大体普段はちゃんとした企業に勤めててしっかり仕事をして金を稼ぎ、パーティの時だけ「レクリエーションドラッグ」を楽しみに来るような連中だ。
でもその「レクリエーション」の振り幅が結構キツめなので、そこらへんのクラブなんかでは欲望を解放しきれない。
結果、誰からともなく言い出して、こういう「自分らのお仲間以外は誰も見てないから、どこまでも勝手に遊んでいい集い」が生まれた。
彼らは基本は純粋な音楽フリークでもあり、楽しみたいのは音楽とドラッグだけなので淫らな集いに発展することもない。
有名女優が逮捕された時にワイドショーなんかで出てきそうな
「危険な薬物中毒者の集い」
「キメセクが云々」
みたいな実態は皆無で、実際にはただただスオミと呼ばれるフィンランドのサイケデリックトランスを流して、アシッドを喰ったフリークスたちがヘラヘラと平和に踊ってるだけのアホな集まりだった。
そもそもタレクさん、本名かどうかも知らないが、この日本人かどうかもよくわからないおじさんは、金に困ってる様子は全く無さそうだ。
噂に聞くところによると世界中の誰もが知ってる韓国系企業の、4代目会長の妾の子らしい。
表に出ることはないけど膨大な資産を有してるのは間違いないだろう。
洞窟を抜ける。
極寒の中で、腰まで水に浸かりながら少し先の入江まで歩く。
タレクさんと、彼のパートナーのアキコ、いつもこのパーティにはいるけどシラフに見えるマホトと、同じく大してドラッグ好きってわけでもない私の4人だけ。抱えてるのは犬のピノコ。
彼がだいぶ前から別荘の裏手に用意していたボートで、海に出る。
20人ほどいた仲間たちは、今ごろ別荘に押し入った警官に捕らえられて尿検査を求められてる頃だろうか。
仲間といっても、誰一人として本名も連絡先も知らないのだけど。
国境までは2時間ほど。
そこまで行けばあらかじめ金を払ってあるタレクさんの仲間が、ルートを用意してる。
渡される偽造IDで入国し、済州島まで行けば向こうにも別荘がある。
何かあったとしても大体のことは揉み消せるし、これまでもこの人たちはそうしてきた。
地獄のような真冬の海風にさらされて体はちぎれそうだが、不安も恐怖もない。
明日が過ぎても私達は、たぶんまだ踊り止めない。
きっとまたどこかでパーティを続けるだけだ。
寒さに犬もヒトもガタガタ震えながら、誰も一言も発さなかった。
明るくなっていく水平線を見ながら、凍るような風を頬に受けて、ふいに静かなメロディが頭に浮かんだ。
釜山の港町で育った頃、母がよく歌ってくれた子守唄のようなもの。
実在する曲なのか母の即興だったのかも知らないけど、まだ覚えていたことにぎくりとする。
母のことは4歳の時に消えてから見てもいないが、この凍えている身体をこの世に産み落としたのは彼女だったな、と思い出す。
今この海の上で、誰にもみつからない場所で、私が死んでも誰にも気づかれない。
死体は海に沈んでサメに喰われて消滅するが、この身体がもと来た場所がどこだったのかは永遠に変わることがない。
そうか、つながっているんだな。
この身体は胎内を出た時から一人歩きしているが、「かつてそこに居た」という事実でいつも母とつながっていた。
その事実だけはずっとそこにあった。
母が消えてもどこかで野垂れ死んでいたとしても、ほどけない絡まりのようなものがあったことを私はぼんやりと思い出していた。
朝日が水面から離れる。
じりじりと顔の皮膚を焼く。
また新しい日が始まる。

